マミブロ

南の島、与論島からアラフォー主婦が楽しく発信するブログ

ハンドメイドを仕事にしたい、は主婦の趣味?

小さなころから、よく熱を出していた。

 

 

それは、楽しみなことがあるときによく重なった。

 

 

 

楽しみなことのために、毎日頑張って、楽しみ直前にダウンする。

 

 

これが、私のお決まりのパターンだった。

 

 

 

これが、今でも続いている。

 

まるで、遠足を楽しみにしている子供である。

 

 

 

 

 

私は二十歳で結婚をし、21歳になったばかりで長男が生まれ、年子で次男も生まれた。

 

 

長男が生まれて、NICUに入院している間は毎日病院通いをしていた。

 

 

アパートから病院まで、徒歩。

片道30分はかかっていたと思う。(多分それ以上かかってたかも)

 

病院からの帰り道、商店街を通るのだけど。

 

商店街の中にちょっとさびれた手芸店があった。

 

そこで、格安のハギレを見つけて、なんかわからないけどわくわくした。

お金もどん底にない貧乏時代。

 

私は、その格安のハギレを買い、商店街の中にある100円ショップに寄って、針と糸を買った。

 

 

当時は、裁縫なんてまったく興味もなかったし、家庭科の授業でも苦手な部類だった。

 

 

そんな私が、手縫いで手提げを縫ってみた。

びっくりするくらいにへたくそだったという記憶だけは残ってる。

 

そして、たしかそのたった一回の裁縫で終わった。

 

 

それから、次男が生まれてしばらくして、実家に居候する時代が訪れた。

 

 

実家に居候している間、私は母とともに子育てや家のことをして過ごしていた。

あの頃は、なんのストレスもなく過ごしていたように思う。

 

 

ちょうどそのころ、母のふるーーーーーい小さな電子ミシンを譲り受けた。

 

今では父の作業台となっているスペースが、当時私の裁縫するスペースとして与えられた。(ありがたい)

 

 

小さなミシンは直線縫いしかなかったような記憶なんだけど、ジグザグもあったのかな。。

 

島に1~2ヵ月に一回来る生地屋さんから生地を買ったり、スーパーの衣料コーナーで生地を買ったりした。

 

そして、布を体に当て、型を取り裁断し、直線縫いのみで自分の服を縫っていた。

 

 

当時は、今みたいにネット検索がサクサクできるような携帯電話でもなかったし。

【ググる】なんて言葉もなかったし。

 

裁縫の知識はどこからも仕入れることができなかった。

 

図書館の本くらいかな。

 

 

 

型紙をとって、布に写して裁断する、という知識は一切なかった。。。。

無知はいろんな意味で恐ろしい。

 

 

しかも、その恐ろしくぼろい自作の服を、嬉しくて普通に着て歩いてたんだからほんと恐ろしい。

 

 

今は、YouTubeという便利な教科書があって、たくさんの先生が教えてくれる。

 

 

そこで教わった型を、自分の好みに合わせて少しずつ調整してオリジナルに仕立てる。

 

 

今、お気に入りの形にたどり着き、大きなカレンダーを利用して型紙を作った。

 

 

一枚の型で、前身ごろVネックとラウンドネックの二種類と後ろ見ごろも取れるように作った。

 

一枚で済むというのは、ラクなもんだね。

もっと早くこの方法知りたかったよ。

 

 

 

裁縫は、完全独学なので、ちゃんと学校に行った人からしたら笑えるかもしれないなぁ。

 

それでも、好きなので縫うんです。

 

 

子供が小さいころに、人生で初めて自分からミシンを触りたいと思って、ミシンを始めた。

 

そして無知ながらも自分の服を縫い始め、ミシンにはまった。

 

それから、手縫いでのパッチワークキルトにもはまった。

 

パッチワークキルト、というと大物作品をイメージされるかもしれないが、トンデモ。

 

 

ただ、細かいハギレのピースをキルト芯とともにつなぎ合わせ、手縫いで今でいうサコッシュなるものを縫ったりしていたのだ。

 

 

母には、記念すべき処女作のわりと頑張ったバッグをプレゼントした。

 

持ちては、合成皮革のモノを買い縫い付けた。

 

 

母は、私が母の日などにプレゼントしたバッグやハンカチ一枚にしても、なんでも嬉しそうに大事に日常で使ってくれた。

 

 

パッチワークしたバッグも、喜んで使ってくれた。

 

 

 

こういった、嬉しい気持ちを経験すると、どんどん縫い上げたくなるもの。

 

 

 

それからは、子供の保育園グッズや、服も縫った。

 

 

 

月日は流れ、自分のミシンやロックミシンを買った。

子供の進学に合わせて、沖縄に引っ越した。

 

そして、送迎に時間をとられるため、私は自宅待機。

いわゆる専業主婦。

 

その間、レンタルボックスに作品を置かせてもらって販売したり。

 

受注を受けたり。

 

 

好きは仕事になるんだと、思った出来事。

 

 

 

 

その当時から、いずれは自分のハンドメイド作品を販売したり、手芸用品を販売したりするお店を持ちたいと夢を描くようになっていた。

 

 

もちろん、それは島でやりたいこと。

 

 

沖縄にいたころは、いろんな勉強もしたし、仕事も経験した。

とてもいい時間だったと思う。

 

 

そして、島に再び戻ってきていよいよである。

 

 

すべては、障がいのある長男が高校卒業したときに働く場所を作る、という目的から始まった私の店作り。

 

 

長男が生まれてから、

 

【障がい者だからといって、安月給で当たり前という考えは打ち消したい】

 

と思っていた。

 

 

だからどうしても、長男が帰ったらすぐ始められるように準備したかった。

 

でも、間に合わなかった。

 

 

いろんな業者も絡むことだし。

 

行事もいろいろあったし。

 

 

結果、たった二日間、長男とともにプレオープンをしただけで今は休業中だ。

 

 

長男は、養護学校のときから職場体験で通っていた島の施設に今はお世話になっている。

 

先生には、利用しないと言っていたが、それではだめらしく(笑

週3日利用してみます、て話からこれまた週5日利用に変わっていて驚きを隠せない。

 

 

午前・午後で作業と生活介護に分かれているので、本人は仕事もしたけど遊びもした、という満足できるスケジュールとなっている。

 

 

 

それでも、今後は一緒にお店をしたいと思っている。

 

 

 

 

 

 

まだまだ、世の中ハンドメイドは主婦の趣味、という認識をされてる部分が多いだろう。

 

 

確かに、私の趣味である。

 

 

でも、趣味を仕事にしたらダメという法律もなければ、それを攻め立てる権利は誰にもないのである。

 

 

もちろん、資格を取得していないと収入を得てはいけない職種だってあるけどね。

 

私の好きなハンドメイドは、そういった資格制度はない。

ありがたい。

 

 

好き(趣味)は十分仕事になりうる。

 

 

現在、店(コンテナ)の修繕と、私の体調回復待ちで休業中だけど。

 

 

きっと、おそらく私のこと【甘いね、甘ちゃんだね】と思ってるひとはたくさんいるだろう。

 

でもさ、それを言う権利は誰にもないと思うんだ。

だって、私のお店だから。

だって、私の好きなことだから。

 

 

 

上から目線で、ひとのことを言うような人間にはなりたくないものである。

 

 

 

とりあえず、早くこの微熱とお腹の弱さが治りますように。